私の韓国エンタメへの入り口は、ドラマではなく音楽でした。あるアーティストのファンになったことがきっかけですが、もともと音楽好きで、洋楽もたくさん聞いてましたから、KPOPというよりも、海外アーティストのお気に入りがひとり増えたという感じでした。韓流ブーム到来の時は、多くのママ友が韓ドラを見まくってましたが、私にはまったく理解できない文化で、自分が韓国という国に興味を持つことなど一生無いと思っていました。ところがですよ…
この記事の内容
ワールドスターと称賛されるその人は
韓流ブーム到来から数年経ったある日、何気なく見ていた情報番組で、韓国の人気アーティストが紹介されていました。あどけない顔からは想像できない低い声とキレッキレのダンスに、思わず見入ってしまのですが、当時の彼の顔もちょっとタイプでした。その人は後に、米国誌TIMEが選ぶ「世界で最も影響力のある100人」に選ばれ、ハリウッド進出も果たすなど、「ワールドスター」と称賛されるまでのアーティストに成長する、ピ(RAIN)でした。
なぜ名前が雨?
「なぜピ?」という、疑問に包まれるその芸名。「ピ」は韓国語で雨のことで、韓国以外の国でも通用するよう、「RAIN」という呼び方があるのだということを、後で知るのですがね。芸名が「雨」だなんて変わってる〜と思いながらも、すっかりハマってしまい、悲しいかな、その時既にデビューから数年経っていたため、それまでに発売されたCDや音源をかき集め、YouTubeでデビュー当時や過去の動画を探しては、毎日のように見ていました。スカパーの韓国チャンネルを契約したのも、この頃です。
その類稀なる才能をJYPに見出され
ピはJYP事務所からデビューし、JYPプロデュースのヒット曲が数多く生まれております。練習生時代はJYPのバックダンサーを務めていたので、JYPの昔のステージ動画やMVには、デビュー前のピ が度々登場します。日本で話題となった、JYP審査のオーディション番組から誕生したNiziUの話をする時、彼が見出したアーティストとして、Twiceや2PMの名前は良く出てきますが、なぜピが出てこないのか不思議です。彼のワールドツアーの際には、このようなラッピングの飛行機が飛び、今のBTS…には負けるとしても(負けるのか)、当時のアジアでは絶大な人気を誇っていたというのに。
今の姿からは想像もできない、壮絶な苦労時代
ピのサクセスストーリーは、貧しかった幼少時代や、早くに亡くなったお母さんの話を無くしては語れません。ステージでの華やかさとは裏腹に、波瀾万丈な過去があるのです。あるトーク番組に出演した時、「貧しかった頃は、妹に何もしてあげられなかった。今はなんでも買ってやりたいし、どんなことでもしてあげたい」と言っていたのを覚えています。「お母さんが生きていたら、いっぱい親孝行ができたのに」と、涙を流す姿も、何かの番組で見ました。壮絶なほどに苦しかった半生と、そこから抜け出そうと必死に努力を続けたハングリー精神が、ワールドスター・ピを作り上げたわけです。お金が無いという意味では、私も負けず劣らずの暮らしでしたが(笑)、ピの努力と謙虚な姿勢を見ると、尊敬の念を抱きましたし、更にピというアーティストを好きになるのでした。
R&BのようでR&Bでない…ベンベン!
私は子供の頃からR&Bやソウルミュージックが好きでして、ピも、韓国R&Bシンガーと紹介されてましたので、それも彼の曲に興味を持った理由のひとつでした。常日頃より、韓国は、そっち系の実力派アーティストが多いと感じております。ただ、ピの場合、実際に聞いてみて、ちょっと違うかな?という気がします。だから良いとか悪いとかってことではないですよ。なんとなく、そのジャンルではないように感じるのです。
ティンバーレイクかアッシャーか
ピは、「韓国のジャスティン・ティンバーレイクかアッシャーか」などと言われていましたが、その通り、ピの曲のMVや、ダンスの振り付けを見ると、彼らの影響を感じずにはいられません。特に、日本で発売されたシングル曲「free way」のMVは、ジャスティン・ティンバーレイクの、ある曲のMVとソックリです(パクりと言われてもしょうがないというくらい)。器用に自分のスタイルに取り入れているとも言えますが、あまりに似すぎていて、ちょっと複雑な気も。。(笑)まあ、そのくらい、ダンスが上手いということですよ(話のたたみ方が雑ですみません)。
東京ドーム公演もやってるし
2007年のワールドツアー日本公演の際、会場が東京ドームということで、大変な騒ぎ(!)でした。ハリウッド進出を果たす少し前で、やはりピって人は、ワールドスターだわ、すごいわ…と、思ったものです。公演終了後に、チケットがぜんぜん売れていなかっただの、空席が目立っていただの、ネットでは酷評も飛び交っておりましたが、私はそんなことは気にならず、ピの偉大さをひしひしと感じておりました。それにしても、チケットが売れ残ったとか言うけど、この時の公演のチケットプレゼントで、家族や友人の名前を借りまくって、バリバリ応募しまくったのに、玉砕した私って。。
心に残るZEPPツアー
ピは2010年に、日本6都市でのZEPPツアーを行ったのですが、私も生ピを拝みに行きました。生ピが初めてだったわけではありませんが、本格的なLIVEを見るのはお初で、とても感動しました。「君を摑まえる歌」がヒットしていた時で、「なぬん おっとけ~」のフレーズが今も頭に残っております。BTSもステージで披露したことのある、伝説の「Rainism」など、古い歌も新しい歌も、まんべんなく歌ってくれました。前から3番目くらいの場所にいた私は、「ピの喉仏が動くのまで見えた」と騒ぎ、一緒に行ったファン友は、アンコールでは感極まって泣いておりました。今となっては良き思い出でございます。
私の心に残る、ピの名曲Best3
こんなに長々と語っておいて、こんなことを言うのは何ですが、ワタクシ、今はもうすっかり、ピの曲を聞くことはなくなりました。歌は世につれと言いますが、この私の心も世につれ…。要するに、愛が無くなってしまったのですな。ピがJYP事務所から独立したあたりからですかねえ、音楽性が変わっていったのが大きいですね。いやもう、しょうがない。人の気持ちは変わるものなのですわ。。しかし、ファンだったころ、私の心をドゥグンドゥグン揺り動かした曲は、今も変わらず好きですよ。
太陽を避ける方法
かなり古い曲となりますが、「太陽を避ける方法」が、私はすごく好きです。物悲しいギターのイントロも良いし、ダンスも独創的で印象に残りました。MVでは、「西部警察?」と勘違いしそうなサングラスなど、突っ込みどころはそれなりにありますが、ピ自身が考えたというダンスが、当時の韓国では秀悦だったのではないでしょうか。そうそう、韓国の国民的MCであるユ・ジェソクが、このMVをパロってまして、ピ仕様で登場するユ・ジェソクが、パっと見、おそまつ君のイヤミにも見え、大いに笑かしてもらいました。
わかっているくせに
さて、ピに夢中だった頃は、韓ドラに熱い思いが無かった私ですが、「サンドゥ学校へ行こう!」「フルハウス」「このろくでなしの愛」…と、ピはドラマにも出演していましたから、もちろん、それはしっかりチェックしておりました(高視聴率を記録したフルハウスよりも、評価の低めだった、ろくでなしの愛が心に残っているのは何故だろう)。この「わかっているくせに」のMVには、「サンドゥ学校へ行こう」の名シーンや、歌手としてのステージでの様子などが散りばめられております。このMVを見ると、なんとなく寂しくて切ない気持ちになります。youtubeで「RAIN (비) - 알면서」と検索するとヒットしますので、興味のある方は、ぜひ見てみてください。
Move On
この曲がすごく良いのはもちろんなのですが、MVもとても素敵。ワンテイクでの撮影ってことでも、ファンの間では話題になりました。日本語を話せるようにならなかったピの、たどたどしい日本語がまた魅力。ビジュアル的にも、このMVのピが最高に好きです。日本では3枚目のシングルとなりますが、この曲を最後に、日本語の曲は発表していないのではないかと。今も根強いファンがたくさんいるピですが、東方神起やBIGBANGなどと比べると、ピの日本進出は、決して成功とは言えないような気がする私でございます。
現在も多方面で活躍しております
一昨年、かつての師匠でもあるJYPとコラボリリースした「Switch to me 」は、1990年代のダンスキング・ボビー・ブラウンを彷彿とさせ、二人とも「俺、まだ踊れるし」を大いにアピールしていると思います。現在もピは、歌にドラマに大活躍。韓国芸能界では、一目置かれる存在となっております。今回の投稿にあたり、昔見ていた、あるファンの方のブログを覗いてみたところ、今もしっかり更新されていました。懐かしい気持ちになると同時に、長い間ずっと同じ人を応援し続けるそのファン魂に、尊敬の念を抱かずにはいられぬ、私なのです… というわけで、私が韓国エンタメにハマるきっかけとなった、ピのお話でした。